※本稿は6月8日投稿の『藤井聡太八冠の強さの数学的考察〜その1』(この記事の最後にリンクあり)の続編になります。
藤井八冠が七冠に…
6月20日、藤井聡太八冠 (以下敬称略,藤井という)は、伊藤匠七段との叡王戦5番勝負・第3局で敗れ、本タイトル戦2勝3敗となり叡王のタイトルを失冠し七冠となりました。
藤井は、タイトル戦(番勝負)で初の敗北を喫し、タイトル戦の連勝は22でストップ、タイトル戦の勝率は96%となりました。
この勝率は先の投稿 (この記事の最後にリンクあり)で算出した藤井のタイトル戦の予測勝率97%とほぼ同じ値となりました。また、タイトルを失うとすれば7番勝負ではなく5番勝負だろうという予想も的中しました。
メディアは藤井敗北を速報で伝えました。
負けてニュースになる…
これは藤井強しの証左です。
叡王のタイトルが藤井から伊藤匠に渡ったものの、依然として棋界のタイトルの88%は藤井の下にあるのです。
また、藤井は、叡王失冠から11日後の7月1日、山崎八段との棋聖戦第3局で鮮やかに勝利し、3勝0敗で棋聖戦を5連覇、史上最年少で永世棋聖の称号を獲得しました。
今後も棋士たちは、打倒藤井を掲げて研究を深め藤井に襲いかかっていくでしょう。
藤井を取り巻く棋界は、あたかもABCD包囲網のような情勢、藤井は戦時下の日本同様大勢に屈してしまうのでしょうか?
いいえ、藤井時代は続くと予想します。
「ABCD包囲陣」とは、太平洋戦争直前、米国・英国・中国・オランダの4か国が日本に対抗して形成した対日経済制裁等の封鎖網。 ABCDはAmerica, Britain, China, Dutchの頭文字。
なぜ今後とも藤井時代が続くのか。以下その論拠を記します。
先の投稿で、藤井が全タイトル八冠を独占したことの要因が 突出したした高勝率であることを示しました。
ならば、藤井の高勝率の淵源はどこにあるのだろうか?
これを数学的に考察し、藤井時代継続の可能性を探りました。
なぜ藤井の勝率は高いのか?
先に結論を記します。
「藤井は重篤な悪手を指さない」
ということです。
なんだ、そんなことなの?
と思われるかもしれませんね。
よろしい、それでは順を追って説明します。
先ずは、将棋というゲームの根本的な仕組みについて説明します。
そして、この将棋の仕組みを知ることで将棋に勝つための機序、即ち「悪手を指さない」ということが見えてくるのです。
将棋というゲームの仕組み
「将棋の勝敗は確定している」
現時点でこの命題は、具体的に(つまり、先手必勝なのかそれとも引き分けかなど)は解明されていませんが命題は真です。
真であることを証明します。
将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームに属します。二人展開型ゲームが零和であるとはAの利得関数EAとBの利得関数EBがEA=-EBを満たす…
んんん、面倒ですね。
なので、ボクの独断的帰納法により解りやすく説明します。
▶︎証明〜将棋は確定ゲームである
図1️⃣のような勝敗が自明である盤面から出発して、2️⃣→3️⃣→ とマス目と駒を少しずつ増やして複雑にしていったものが、実際に指されている将棋(図4️⃣)です。
図1️⃣ マス目が3
図2️⃣ マス目が4
図3️⃣ マス目が6
更にマス目を増やしていくと…
図4️⃣ マス目が81
1️⃣〜3️⃣は手順が1〜2通りなので勝敗は自明です。
4️⃣は他の3つの盤面よりマス目と駒が多くなっていますが、所詮は有限の数です。また、麻雀のようなランダムな要素がなく、全ての情報が開示されています。
だから、原理的にはすべてを調べ尽くすことが可能だと思います。そして全てを調べ尽くすことにより、将棋の結末は以下の4つのうちの何れかになるはずです。
▼将棋の結末
①先手の勝ち(後手の負け)
②後手の勝ち(先手の負け)
③千日手(同一局面の無限ループに入り勝負がつかない)
④持将棋(お互いの王が相手の陣地に入り、どちらの王も詰まなくなる)
結末が確定してはいるものの、現在のAIをもってしても、互いが最善手を指し続けた時の具体的な結末が上記4つのうちのどれになるかは解明できていません。
確たる根拠のない私見ですが…
お互いが最善手を指せば、将棋の結末は「千日手」になるような気がします。
この世界の真理を突き詰めていくと、宇宙の実相は再帰的なものに帰趨するような気がします。
少なくとも、先手必敗はないだろう。
AIが人間の棋力を超えた!
かように将棋の結末は確定しており、 将棋は正しく指せば最善の結果が得られるゲームです。正しく指すとは終局まで最善手を続けることです。
ここ10年で、AI(人工知能)により最善手の探索が進歩しました。そして人間はAIと対局しても勝てなくなりました。棋士はパソコンでAIの最善手順を研究して棋力の向上を目指しています。
将棋のテレビ中継では、AIによる次の指し手の最善手が表示され、形勢判断も数値で示されるようになりました。
AIの出現によって、将棋というゲームで勝つための合理的な戦術が見えてきたのです。
前置きが長くなりましたが、以下藤井がなぜ高勝率なのかについて説明します。
将棋で勝つためには…
「将棋は勝負が確定したゲームである」とするならば「正しい指し手が存在する」ということになります。
将棋は、如何に正しい指し手(正着)を指すか、換言すれば正着との乖離を小さくすることを競うゲームなのです。
正着から大きく外れた手を指せば、形勢を損ね敗色濃厚となるのです。
※例えば次善手の3五歩を指すと形勢は48%(69%−21%)となります。
上図は、次の候補手に対するAIの評価値です。現局面は勝率69%と優勢ですが、正着(2三香成)以外の手を指すと形勢は不利なとなります。
極端な場合、下図のように後手勝勢(最善手を指せば99%勝利)にありながらも、最善手以外の手を指すと勝率は一気に3%以下になることもあります。
もし、この最善手(同歩)が人間には発見しにくい神の手なら、人間にとっての現局面は後手敗勢というのが実質的な形勢と言えるでしょう。
将棋の形勢評価は減点主義なのです。
AIの示す最善手を指すことが必勝法ではありますが、人間には困難です。
現実的な必勝法は前述した「重篤な悪手を指さない」ということになります。AIの示す正着もしくは大きく形勢を損ねない指し手を続けなければなりません。
減点評価主義の将棋では 致命的なミスを回避するのが将棋必勝のメソッドなのです。
では、致命的なミスはいつ生じるのでしょう。
将棋は終盤が重要!
将棋は平均110手あまりで勝敗が決します。
一局の対局を、序盤、中盤、終盤の三つに分け、それぞれを40手(先手・後手それぞれ20手)とします。
序盤は手が広く(指し手の選択肢が多い) 致命的な悪手を指さない限り、どの手を指しても形勢の変化は些少です…というよりも現在のAIでは形勢の判断が困難であり、ましてや人間にとってはどの指し手もそれぞれが一局の将棋と言えるでしょう。
ところが終盤に悪手を指せば自玉に詰みまで生じてしまいます。
終盤では有効な指し手が絞られてくるのでAIは指し手をしらみつぶしに探索することで終局までを読み切ってしまいます。
だから、終盤は正着(もしくは優勢を保てる指し手)を指し差し続けなければなりません。
定量的に考察してみます。
終盤の20手を、各指し手を正着確率80%で指し続けたとします。その時、一度も間違わない確率は0.8の20乗。即ち… 0.011529215046068(約1%)
※ 0.8を20個も掛けるのは面倒⁈ いや、0.8の5乗を4乗すればよろしい。一応、計算結果は関数電卓(一回の操作で結果が出る)でも確認しています。
藤井の場合は…
この終盤(約20手)において、藤井は 人並み優れるといったレベルを超越した、人間とは思えない深い読みと正確性を有しているのです。時には「AI超え」といった妙手を指して、ネットやテレビでたびたび 驚嘆をもって取りざたされています。
終盤の指し手は詰将棋のスキルに近いものがあります。
藤井はプロ棋士も参加する「詰将棋解答選手権」において、小学6年から前人未到の5連覇を達成しています。
この終盤力によって藤井の終盤の20手に悪手はほとんど生じません。
藤井の指し手が全てAIの示す最善手ではありません。然し、藤井が指した手で局面が悪化することはあまりありません。寧ろ紛れのない分かりやすい勝ちの手順となっています。
「決断良く踏み込む」というのが藤井将棋の魅力ですが、時には「バイクで細くて危険な近道よりも、片側2車線の道路を大型車両で安全に目的地を目指す」という柔軟さも備えています。
この終盤の驚異的な読みの深さと正確性が藤井の高勝率を支えているのです。
先述したように一般的な棋士が20手連続で悪手を指さない確率は1%程度です。つまり凡庸な棋士は99%の確率で終盤に悪手を指すのです。加えて、終盤には考慮時間も僅かになっており更に悪手確率は大きくなります。
だから、終盤の入り口までに藤井の形勢が互角もしくはちょっと不利ぐらいであれば、相手が正着を指せず藤井の勝率が更に上昇するのです。
老獪さも…
藤井は21歳という若さにも拘らず、駆け引きに長けた勝負術も備えています。
形勢が悪い時は、最善手ではなく相手が間違えそうな指し手を選択 、所謂毒饅頭を仕掛けてきます。
藤井の泣きどころ
しかし人間離れした棋力をもつ藤井にもデビュー当初は弱点もありました。それは藤井が指し手を深く読めるが故に生じた弱点でした。
例えば、下図のような局面。
藤井の57手目の指し手に対するAIの候補手です。
AIは1四歩を最善手としています。然し、次善手の1二歩と三番手の7九玉も最善手と同じ勝率を示しています。5番目の候補手の7五歩を指しても勝率は4%しか減少しません。
この局面で次の指し手を決定することはかなり困難です。
数年前の藤井は最善手を追求していたようです。深く読める藤井は真摯に真理を追求することで終盤までに考慮時間を消費してしまうことが幾度かありました。
それでも一分将棋で秒読みになっても正確な指し手は大きく劣化することはありませんでした。
そして.最近は時間配分も上手になり、早指し戦を除けば終盤で時間が足りなくなることはあまりなくなりました。
藤井将棋はますますスキが無くなりました。
藤井のタイトル数を予想する
かように藤井将棋は今も発展途上であり、棋界はしばらく藤井時代が続くと思います。
では、今後、藤井のタイトル数はどうなるのだろう。自分なりに予想してみました。
急速な若手の台頭、予期せぬ藤井のスランプなどを考慮して、今後10年間、藤井のタイトル数は平均6.4個程度で推移すると予想します。6.4個とは…
全タイトルの80%を保持!
この状況は、まさに藤井時代なのです。
▼前回の投稿
藤井聡太八冠の強さの数学的考察〜その1〜タイトル戦は負けなしの22連覇 - こに〜 の ざれごと