私説 ギロチン理論
続編です。
先の投稿で、なぜか、蝉の死骸は腹を上にしている。
…と言及しましたが、その理由について考えてみました。
蝉の眼は背中側についています。
上の写真のように、腹を天に向けたとき眼は地中に向かっています。
従って、目線を基準として、「仰向け」と「うつ伏せ」を定義すると、最初の写真の蝉は「うつ伏せ」になって死んでいることになります。
うつ伏せは蝉の意思⁉︎
蝉の死骸を放り投げたら、その落下時の静止姿勢は、うつ伏せの場合、仰向けの場合、それほど変わらない頻度で生じると思うのですが…
つまり、蝉がうつ伏せ(眼が地中を向いている)になって死んでいるのは、蝉の意思によるものかもしれません。
7年間の地中での雌伏を経て、やっと夏空のもとに7日の命を授かったのに、死に臨んで、なぜ暗鬱な地中に眼を向けてるのでしょうか⁉︎
ギロチンの恐怖
もし、ギロチンで処刑されるとしたら、あなたはギロチン台でうつ伏せになりますが、それとも仰向け?
おそらく、大方の人は、視線が地中に向かううつ伏せを選択するでしょう(どちらも選択したくない、というのが本音でしょうが)
腹が上になって道端に静止している蝉に触れたとき、蝉はまだ生きていて、ジジーと小さく鳴きながら脚で弱々しく虚空を掻くことがあります。
蝉の死は離散的ではなく、生と死のグラデーションを描きながらゆっくりと進行しているのです。
だから、死にゆく蝉にとって、ギロチンの刃はゆっくり、ゆっくりと落ちてきます。
そして、その悠長な恐怖から少しでも逃れるために、蝉はギロチンの刃から眼をそらすのかもしれません。
それとも、蝉は死を悟ったとき、生涯の大半を過ごした地中の暗渠を見つめるのでしょうか…
紫陽花は枯れてしまいました。蝉も死んでしまいました。
そして、今年も夏が終わろうとしています…