こに〜 の ざれごと

日常生活の小さな疑問や発見をアイロニカルに 綴りました… っうか単なる戯言です。

蝉の生き様 と 死に様 〜その2

 

私説 ギロチン理論

続編です。

先の投稿で、なぜか、蝉の死骸は腹を上にしている。

…と言及しましたが、その理由について考えてみました。

 

 

f:id:Conichan:20200819132529j:image

蝉の眼は背中側についています。
上の写真のように、腹を天に向けたとき眼は地中に向かっています。

 

f:id:Conichan:20200820155617j:image

従って、目線を基準として、「仰向け」と「うつ伏せ」を定義すると、最初の写真の蝉は「うつ伏せ」になって死んでいることになります。

 

うつ伏せは蝉の意思⁉︎

蝉の死骸を放り投げたら、その落下時の静止姿勢は、うつ伏せの場合、仰向けの場合、それほど変わらない頻度で生じると思うのですが…

 

つまり、蝉がうつ伏せ(眼が地中を向いている)になって死んでいるのは、蝉の意思によるものかもしれません。

 

7年間の地中での雌伏を経て、やっと夏空のもとに7日の命を授かったのに、死に臨んで、なぜ暗鬱な地中に眼を向けてるのでしょうか⁉︎

 

 

ギロチンの恐怖

もし、ギロチンで処刑されるとしたら、あなたはギロチン台でうつ伏せになりますが、それとも仰向け?

 

おそらく、大方の人は、視線が地中に向かううつ伏せを選択するでしょう(どちらも選択したくない、というのが本音でしょうが)

 

腹が上になって道端に静止している蝉に触れたとき、蝉はまだ生きていて、ジジーと小さく鳴きながら脚で弱々しく虚空を掻くことがあります。

 

蝉の死は離散的ではなく、生と死のグラデーションを描きながらゆっくりと進行しているのです。

 

だから、死にゆく蝉にとって、ギロチンの刃はゆっくり、ゆっくりと落ちてきます。

 

そして、その悠長な恐怖から少しでも逃れるために、蝉はギロチンの刃から眼をそらすのかもしれません。

 

それとも、蝉は死を悟ったとき、生涯の大半を過ごした地中の暗渠を見つめるのでしょうか…

 

 

紫陽花は枯れてしまいました。蝉も死んでしまいました。

 

そして、今年も夏が終わろうとしています…