クロアゲハの出迎え
猛暑の夏、四国の実家に帰省の際、帰宅時にクロアゲハの奉迎に遭遇しました。クロアゲハは、門扉から玄関までボクの周りを纏わり付き和気藹々たる接遇を演出しました。
クロアゲハは翌日以降も実家の庭に居座り続け華麗な舞いを堪能させてくれました。
炎昼の死〜儚きクロアゲハ
ところが、出会いから3日くらいすると、クロアゲハの動きは次第に緩慢になっていき一週間後には、窓枠に張り付いて前足を微かに動かすだけになってしまいました。

クロアゲハの一生は卵→幼虫→蛹→成虫という完全変態で、蛹で越冬して翌年4〜5月に羽化し成虫となります。成虫の寿命は数日から長くて10日余りです。
その一番華やかな、そして10日間ほどの儚い成虫期間が終焉を迎えたのです。
クロアゲハはもうすぐ死んでしまいます。
ボクはとても悲しくなりました。
たった10日間の生命…
でも、そのクロアゲハの短い生命は、とても幻想的でちょっと触れただけで壊れてしまう繊細な硝子細工ように思えました。
そして同時に、物事がうつろい変化することの虚しさや人生の儚さを説いた中国の故事「胡蝶の夢」を想起させられました。
もとより、量子力学において時間は観測の際に現れるものです。時間に実体はないのかもしれません。

時間が過去から未来へ流れているように感じるのは、エントロピー増大に対する脳の解釈であり、この世界は脳が作り出した仮想現実かもしれません。
そしてまた、意識は波動として宇宙に記録され続け肉体の消滅後も情報が残る… すなわち、死は存在しないのかもしれません。
とするならば、クロアゲハとの邂逅は僅か10日間であったけれど、その10日間はクロアゲハにとっては数十億年にも匹敵する悠久の時の流れだったのかもしれません。
そう想いを巡らすことでボクの心は安らかになり、動かなくなった愛おしきクロアゲハを暫く見つめていました。
だけど、ボクの瞳の焦点は、クロアゲハの背後にある遥か彼方の深遠な真理の上に結ばれていました。
※「胡蝶の夢」とは、中国の思想家・荘子が夢で蝶になったエピソードから生まれた故事成語。夢と現実が区別できない状態や人生の儚さをたとえたものです。荘子が「自分が蝶になった夢を見ていたのか、それとも、蝶が人間になる夢を見ているのか」と自問したことに由来します。