今年のゴールデンウィークは、東京を離れ四国の実家で過ごしています。
当地でも、コロナ禍の沈静化と共に行楽地は賑わいを取り戻しています。
そんな時、突として想起したのが、子供の頃に近くの寺の境内で見た堂々たる藤の花。
視界が全て藤色に埋め尽くされる壮大さ…
よし、見に行こう!
この藤棚のある禎祥寺という古刹を訪れました。
ところが、会遇したのは箱庭のように矮小な藤棚。
幼い頃見た壮大な藤は消散して、いま目にしているのは新たに植え替えられた別の藤だろうか?
否、この藤の由来を記した看板には樹齢400年と書かれています。
紛れもなく幼い日に見た藤です。
とするなら、あの荘厳な藤は何処へいってしまったのだろう?
記憶が変質してしまったとしか考えられません。そして、その変質の筋書きはおそらく…
どんな記憶も最初は正しく脳に保存されていたはずです。ところが美しい記憶は思い出すことで心地よい感情になれるため何度も想起される。そして、その追憶の度に記憶が微妙に美化されて脳に上書きされていく…
「思い出は美しすぎて」 作詞•作曲•歌 八神純子
かように思い出を素敵な方向へと改変するヒトの身勝手な志向…
これは、美化というよりも、未練を引きずっているだけなのだろう。