蕎麦信者の出現
誰しも、蕎麦に対して蘊蓄を垂れる蕎麦信者に、一度は出会ったことがあると思います。
蕎麦には「貧粗」や「欠如」といった負の属性が宿っています。
蕎麦信者は、この負の属性を心の充足をみいだそうとするものに昇華させるべく持論をまくしたてます。
そして、あたかも室町時代の「侘び寂び」の如く、蕎麦に内在する「質素」、「陰性」、「儚なさ」ようなものに美意識を持ち、悟りのような境地までに達しています。
食事の献立の一つにすぎない蕎麦を、なぜそこまで愛でるのでしょうか?
そこには、蕎麦販売側の目論見があり、その企てにまんまと乗せられたのが蕎麦信者ではないでしょうか。
つまり、蕎麦販売者が、ざるそばの法外な価格(150gほどの価格が1000円)に免罪符を与えるための戦略により蕎麦信者が生み出されたのです。
もともと蕎麦は白米が食べれなかった貧しい人の食品でした。
さすれば、ざるそば の実態は、変動費がおそろしく低い、ボッタクリ商品です。
だから、蕎麦販売者は、このボッタクリ価格を正当化するために、蕎麦に、侘び寂びのような価値観を構築するしかなかったのでしょう。
下衆の勘繰りかなぁ…
実際に食べてみた
蕎麦の味がわからない無粋な野郎のたわごとだと言われそうなので、美味しいと言われている蕎麦を食してみることにしました。
ネットで愛媛県の蕎麦店ランキングを検索。
なんと、実家のある西条市に2位にランクインしているお店がありました。
すぐさま出動、午後1時過ぎに店に到着しました。
ところが、昼休みは過ぎているのに10人近くが入店待ち、店内の「お待ち表」とやらに名前を記入して店外で待機すること40分、ようやく入店です。
注文したのはこの店の看板メニューのひとつ「鴨なんそば」。
蕎麦が運ばれてきて、10分ほどで完食。
空腹が満たされないため、天むす と おでんも食べました。
結論
仄かな蕎麦の香りと独特の食感はなかなかのものでした。
ただし、空腹を満たす食品としてはコスパ悪過ぎです。
むしろ、香木を焚いてそのかおりを楽しむ香のような嗜好品と考えるべきでしょう。
こう考えることで、なんとか理不尽な価格を許諾することができました。
蕎麦って食欲を満たすのが目的ではないのですね。
ちょうど、スナックでのビールの小瓶が1000円であっても納得するのと同様に…