※ 在报道的最后用中文标记
(中国のお友達のために簡体字を併記)
【オオカミ少年〜イソップ童話】羊飼いの少年が、「狼が来た!」と嘘をつき、大人たちは武器を持って出てくるが、徒労に終わる。少年がこれを繰り返したので、本当に狼が現れた時には、大人たちは信用せず、誰も助けに来なかった。そして村の羊は全て狼に食べられた。
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◾️ これまでに経験したことの ないような
◾️ 数十年に一度の
◾️ ただちに命を守る行動を
これらは、気象庁が警戒をよびかけるために使われる表現です。
台風接近 • •
冒頭の大仰な警戒表現を用い、これまでに経験したことのないような避難をを呼びかけました。
結果、台風通過付近の住民は例年とは比較にならないほどの迅速さと徹底した管理体制による避難を実現しました。
コロナ禍の中、避難所に様々な制約があるにもかかわらず。
実際の被害は • •
この台風で被災した方には申し訳ないけれど、台風10号による人的被害は拍子抜けするほど些少なものでした。
喜ばしいことではありますが、この度の、気象庁とメディアの一連の警戒喚起には、大きなリスクが内在しています。
オオカミ気象庁の罪
大は小を兼ねる〜的な発想で、過剰に恐怖心を煽ることで安全な方へころび、結果、とにかく大きな人的被害がなかったから メデタシ メデタシ …
とはなりません。
今年だけならそれでいいかもしれません。
しかし…
今回の台風に対し、過度な危機報道で周到な備えをさせしめたにもかかわらず、大きな被害がなかったことは、今後経験するだろう本当に危険な台風を、国民が軽視するかもしれない〜というリスクを生み出しました。
つまり、次の大型台風接近時、
今回の警戒報道が空振りに終わったことを学習した国民は、「どうせ、また大したことないだろう」と高を括り、避難が疎かになるでしょう。
気象情報は詩歌ではない
気象庁は、生命に関わる情報を提供する機関です。
ならば、その情報は客観的な数値で定量化した絶対的なものでなくてはなりません。
詩歌のような、主観に左右されるような表現は避けるべきです。
「これまでに経験したことのないような」という表現が示す台風の強度は定数にはなり得ません。
仮に、昨年までの最高強度の台風が 900hPa であり、今年800hPaの台風が来たとすると…
「これまでに経験したことのないような台風の気圧」の定義は、
今年→ 900 hPa 未満
来年→ 800 hPa 未満
となります。
気象庁の使う危険度表現の定義が「100m走の日本記録」のように、時間とともに変化するような数値(表現)であってはなりません。
「数十年に一度の」という表現も同様です。
「ただちに命を守る行動を」
については、抽象的で実際にとるべき行動が想起しづらいです。
命を守るためには、死亡が実現するする道筋を理解し、その道筋を断ち切るような具体的対応を実践しなければなりません。
【道路が寸断され孤立する→通信不能→救助隊が来る前に土砂崩れにより死亡】というシナリオを想定し、
【通信手段を確保する→携帯電話を帯同し充電可能な環境を整える】という「命を守る行動」を具体的に明示するまでが気象庁およびメディアの使命だと思います。
新たに生じたリスクへの懸念
気象庁とメディアの情緒的な台風報道の代償が国民の命で贖うことにならなければよいのですが…
🇨🇳台风十号从日本过去了。
幸好受灾很少。
台风接近的时候,媒体大肆报道了。因此发生了新的风险。